7/12 讀賣新聞“「あまちゃん」現象 なぜ?”

7月12日付の讀賣新聞の文化面で、“「あまちゃん」現象 なぜ?”という特集が組まれてた。中でも宮藤官九郎さんのインタビューが、パンチライン続出でおもしろかった。

以下、宮藤さんのインタビュー。

宮藤「自分には15分という時間がちょうど良かったかもしれない。最後の1〜2分でガーッと盛り上がる。書く時はそれに合わせ、各話とも、終盤は席も立たないくらいの勢いで一気に仕上げた。台本を書くライブをやってるような感じです。」

「仕事を受ける際、156話(26週)という長さに加え、朝ドラの視聴者との共通の話題がなさ過ぎて無理だと思った。けれど、僕も40代です。同じ年頃に、母親は朝ドラを見ていた。40代はもう朝ドラど真ん中。ということは、自分も視聴者層の一人なんです。」

「ただ、戦争の話とかを書いても、また聞きでしかない。僕にとって、よく覚えている一番古い時代が1980年代ですから。でも30年前って、もはや時代劇。かつて40代だった頃の母親が終戦直後を描いた朝ドラを見ていたのと、同じぐらいの懐かしさです。だから、80年代のアイドル話を時代劇のつもりで書けるなと思った。」

「高校潜水土木科の磯野先生(皆川猿時)を登場させた時と、「海女〜ソニック」で花巻さん(伊勢志摩)にフレディ・マーキュリーの格好をさせた時は、「まずい、筆が滑った」と思いましたね。でも不思議なことに反応がいい。視聴者の側に免疫ができてきたのかもしれません。」

「実を言うと、当初、アキは10週目に上京する予定にしていた。けれど、アキとユイが家出しようとするのを、大人たちが必死に止めるのが面白いと思ったので、そこを延ばした。時間をかけた分、見ている人たちも、アキを本当に応援し、東京に送り出そうと思ってくれたのだと思う。」

宮藤「東京編も、劇場の奈落で頑張っている姿を思いついた時、いけると思った。岩手では海の底に潜っていた。奈落からもいつか上がってくると、応援してくれるのでは。」

「今回、自分自身も変わったと感じています。大学の時、「母親は食器を洗いながら背中でテレビを見ているから、ナレーションなどで説明しないと駄目」と教わった。そんなの嫌だと、テレビの前に座り、しっかり見てもらうものを目指してきた。でも実際、自分も“ながら見”をするし、雑談しながら見てもらうのもいいかと、思えるようになりました。」

1980年代が宮藤さんにとっての時代劇っていうのが、すごくストンと腑に落ちた。おもろいなあ、やっぱり宮藤さん。

あと「台本を書くライブをやってるような感じ」ってのも、宮藤さんならではなんじゃないだろうか。んで、そこが、あまちゃんのあの勢いのもとなんだろうなあ。

田中ゆかりさん(日大教授・日本語学)のあまちゃん分析も興味深かった。「方言を使うことによって、おもしろい、純朴といったイメージをまとい、キャラクターとして繰り出す行動を、私は「方言コスプレと呼んでいる。「あまちゃん」はおそらく、意図された初の方言コスプレドラマだ。」だって。

さらに田中ゆかりさん曰く「アキは東京出身で、本当の東北人ではない。ニセ方言で強くなった。ニセ方言は、ドラマという虚構の中でもう一つの虚構となっており、この重層性が効果を生んでいる。」なるほどなあ。